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★ 趣旨 努力を重ねた本当に強い人は、自然体でいるだけでも勝てるという意味です。つまり、強そうに見えているうちはまだまだ本物でなく、どーんと構えて無為自然であれば相手の敵対心は無くなり、戦わずして勝てる。これこそが本当の強さだということなのです。 昔、中国で闘鶏を育てる名人が王の依頼を受けて、鶏の訓練していました。 王が「そろそろほかの鶏と戦わせて見たいが、どうだ」と尋ねるたびに、名人は「鶏が虚勢を張るから」「ほかの鶏を見て興奮するから」「気負い立っているから」などといって断ります。 それからしばらくして、ようやく王に鶏を献上しました。 その鶏は、まるで木で作られた鶏のように無為自然。虚勢を張ったり、ほかの鶏を見て興奮したり、気負ったりすることはまったくありません。 強そうに見えるだけでは、まだまだ本物ではないということです。 ただ、自然にしているだけで相手の敵対心がなくなり、戦わずして勝てる。これこそが本当の強さなのです。 人間も同じです。 肩書きや持ちもの、着ているものや言動によって、相手を打ち負かそうとしているうちはまだまだです。 本当に強い人間は、みなが寝静まった誰にも見えぬところで精進、努力を重ね、どのようなときも泰然自若でいられるものなのです。
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