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かばかりの ことは浮き世の ならいぞと 許す心の 果てぞ悲しき 【歌の意味】 これぐらいのことは、皆だれでもやってるから、自分もその程度のことは許されるだろうと暢気にかまえていると、長い人生ではとんでもないことになってしまうぞ、という趣旨です。 自分で自分をかんたんに許すような根性では、大したことはできないよ、という戒めでもあります。 人間社会は、許すか許さないかで、大きくは国の行く末、小さくは人それぞれの人生の行く末が決まってくるものです。 たとえば、大きくは政党の離合集散、小さくは同僚や仲間との離合集散、配偶者との離婚も、いかなる理由があるとしても、誰かが許すか許さないかの決定をしたことが原因で、決まったことです。 その結果、政党の離合集散は国民の幸不幸に関わってきますし、友人や同僚との離合集散は、自分の孤立化に拍車がかかるだけでなく、経済的な損失になって跳ね返ってくることもあり、夫婦の離婚に至っては、一家の繁栄は言うに及ばず、将来に対する希望も失われ、また子供の不幸にもつながりかねません。 私たちの生活で言えば、飲酒、マージャン、ギャンブル、浮気、贅沢、手抜きなどなど、「これぐらいのことは、誰でもやっていることだから、自分も少しぐらいやっても良いだろう」と、自分の心を許し、甘えた気持ちでいますと、だんだんと泥沼の深みにはまって足をとられ、最後は全身泥だらけになって身を持ち崩していきます。 こうならないためにも、しっかりした人生観と揺るぎのない哲学を持って、運勢や運命に立ち向かうしかありません。 |
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