|
立ち寄りて しばしなりとも 習わばや 親に仕うる 人の心を 【歌の意味】 親孝行で評判の家があるので、親孝行の方法を見習いたいという趣旨です。 親孝行は、いまや日本人から忘れ去られたのではないかとさえ思うくらい、遠いかなたの存在になってしまったようですね。 明治の先駆者の吉田松陰の歌に 「親思う 心に勝る 親心 今日のおとずれ 何と聞くらん」 というのがありますが、子が親を思う心よりも、子を思いやる親の気持ちのほうがはるかに深いということです。 今の日本では、親は子どものことを思っても、子供からは何とも思われない時代になったと、あきらめなければならないのでしょうか。 現在の世相をみますと、親も親で、子どもを虐待しては果ては殺してしまうという、親の資格のない人も増えてきています。 ほんとうに悲しい時代です。 現在の若い夫婦は、「どうやって家庭の作ったらよいのか分からない」という人が増えているし、ちょっと意見がすれ違ったといっては離婚するということで、どうしてこういう夫婦が将来を見据えた我が家の繁栄の基礎など築けましょうや。 これに比べて親孝行の家があったら、わざわざ立ち寄ってでも、その方法を聞きたいもの・・・と、この歌を詠んだ人の気持ちには心が打たれます。 生活指針 @ 人間をはかる基準は、その人が孝行者であるかどうかできまる。 A 人生を真剣に考える人に、不孝者はいない。 B 嫁をもらうなら、親を見てもらう。 |
|
|||
Copyright (C)2015. 古歌・辞世の歌・禅の言葉・名言・格言から生き方を学ぶ All rights reserved. |