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一生を 夢とも知らず 覚めぎわに 夢と知りゆく 夢の世の中 【歌の意味】 月日が経つのは早いもので、ちょうど片道切符の列車に乗っているようなもので、二度と同じ場所には戻れず、初めのうちは各駅停車で停まっていても、人生も終局に近づくにつれて、急行列車からさらにスピードアップする新幹線に乗り換えさせられ、否応なく死出の旅路へまっしぐらというのが現実です。 あわただしく人生は、どんどん、どんどん未来へ押し流され、大したこともしないまま、幕を下ろされるようなもので、まことに人生は夢の中にいるようなものです。 このように儚い世の中なら、浮世の富貴貧賤などにこだわらず、もっと大事なものを探しましょう。 中国には「邯鄲(かんたん)の夢」という故事がありますが、この故事も、この世も夢と同じで儚いものであると言っています。 盧生(ろせい)という若者が一旗揚げようと邯鄲に向かって旅をしていた。途中のある町で、昼飯を食べるため一軒の店に入ったとき、そこにいた老人に自分のこれからの夢を話した。老人は若者の話を興味深く聞いてくれたが、飯ができるまで一休みするようにと枕を貸してくれた。若者が枕をあてると、すぐにうつらうつらし始めた。 夢の中で、地位も名誉も財産も持ち、美しい妻や5人の子供に囲まれ、大きな屋敷住んでいる自分自身の姿、50年にわたる波瀾万丈の成功物語を見ていた。 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。「さあ、食事ができましたよ」。その声で若者は目を覚ました。その途端、今まで見ていた屋敷も何もかもが消え、そこにいるのはただのみすぼらしい身なりの自分自身であった。 若者は驚いた。老人は若者が何に驚いているのかを知っていた。 自分が今見ていた夢、50年にも渡るあの波瀾万丈のドラマは、粟が煮えるまでのつかの間の出来事に過ぎなかったのか。彼は自分の抱いていた夢のはかなさに気がつき、邯鄲に行くのをやめ、故郷に戻ったという話であります。 |
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