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火の車 作る大工は あらねども 己が作りて 己が乗り行く 【歌の意味】 だれしも台所が火の車と言われるような、生活に困窮した生き方はしたくありませんが、お金が不自由するのも、あるいは人生に難問が降りかかってくるのも、みな自分自身の思いと行動の結果ですよ。 木像も下駄もよくよく見ますと、同じ1本の木で彫られていますが、木像に彫られた木は人に拝まれ崇められ、下駄に加工された木は人の足に踏まれます。 一本の同じ木から作られたのに、大勢の人から丁重に扱われる木像になったり、あるいは彫り方によっては、人の足に踏まれる下駄になったりもします。 人間もこれと同じで、仏像になるのも下駄になるのも、決して他人が彫っているのではなく、あなた自身が心のおもむくままにセッセセッセと彫って、今あるあなたの生活状態を形作っているのです。 あなたも、高次元の幸福が舞い込むような仏像を、次のことに留意し彫ってみましょう。 @ 名位にとらわれないこと ・ 名声とか名誉というのは頼りないものであり、これらの名位が天から授けられるのならまだしも、人間が評価して与えるような名誉など、その時その時で、変わってくるものです。 A 悪衣悪食を恥じないこと ・ みすぼらしい服装をしていることや貧しい食事を恥じと思うような人は、までまで一人前の人間とは言えません。 B 寸暇を惜しむこと ・ 学問をするには、暇がないということはなく、仕事に打ち込むことでも、机に向かっていることだけが仕事ではありません。いつでもどこでも頭を働かせることは可能であります。 C 争わないこと ・ 他人との争いほど自分の心に毒を積むものはありません。争いで勝っても、相手の恨みの念を買い、いずれは自分自身に跳ね返ってくるものです。 D 志は満たさないこと ・ 何ごとも腹八分目がよく、志を達成すれば、そこから堕落の始まりとなります。 E 日に三度、我を顧みる ・ 昔から人のフリ(人の言動など)見て、我がフリを直せという言葉があります。これは論語に出ている言葉ですが、あの孔子さまでさえ、日に三度は反省したというのに、我々は日に何回反省しているでしょうか。 |
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