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★ 趣旨 悟りとは特別な境地ではなく、当たり前のことを当たり前にやっていることこそが道なのです。ですから、緊張して当たり前、不安があって当たり前の日々が「平常心」ということです。 よく就職の面接や学生の試験、またはアスリートなどが試合に臨むときなど「平常心で行け!」などと発破をかけている先生やコーチがいますね。 では、この「平常心」とはいったいどのような心なのでしょうか。 一般的には、普段どおりの落ち着いた精神状態を指すことが多いような気がします。 つまり、「普段勉強や練習しているときの心や気持ちを思い出しなさい。何ごとにも心を動じさせることなく、臨みなさい」とアドバイスしているのでしょう。 確かに面接や試験、試合にそのような心で臨むことができれば、素晴らしい結果が得られる可能性は高いようにも思います。 でも、いざという大事なタイミングで、いつもリビングでテレビを観ているときのような落ち着いた状態でいられるでしょうか。 そんなことを意識すればするほど、もっと緊張してしまうのではないでしょうか。 人生は日々、何かの縁に一喜一憂して、苦しんだり、悩んだり、泣いたり、そして、笑ったりの繰り返しです。禅の教えでは、「そのように変化する日々そのものが日常である。揺れ動く心そのものが真実であり、自然の姿である」といっています。 緊張して当たり前の状況なのに、無理やり平常心をつくろったり、落ち着こうと焦る心を隠して平然を装ったりするのは、考えてみれば、とても不自然なことです。かえって心が揺らぎ、不安になってしまうでしょう。 そのようなときには、緊張している今の自分の状況や心が、真実の姿であると素直に受け入れてみてください。 緊張や不安な心を排除することをやめて、ありのままの自分を受け止めるのです。緊張や不安にかられた自分を排除しようとした不自然な心がなくなり、「平常心」を取り戻すことができるというわけです。 日々、当たり前のことを当たり前に行う。そこには、喜怒哀楽がある。それも含めて「平常心」であるならば、どんな状況においても自分を忘れることなく、平常心でいられるのです。 よく一流のアスリートなどは、毎日の生活をルーティンワークのように同じことの繰り返しをするそうです。 プロ野球のイチロー選手などは、朝起きてから、試合が終わるまでそのほとんどが、同じリズムで繰り返されるなどといわれています。だからこそ、自分を見失うことなく、緊張も楽しんでいるようなプレーができるのかもしれません。 私たちも日常で起こる喜怒哀楽の感情を、すべて受け入れることができれば、いざというときの緊張や不安に立ち向かう「平常心」を手に入れることができるのではないでしょうか。
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