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★ 趣旨 直接の意味は、「どうぞお茶でも召し上がれ」ということですが、この唐の時代の禅問答が、現代の私たちの日常を諭してくれます。 中国の唐の時代の趙州(じょうしゅう)禅師(778〜897)と修行僧の会話です。 禅師のもとを訪れた修行僧に「あなたは、ここにきたことがあるかね?」と聞いたところ、修行僧は「はい、あります」と答えました。すると禅師はひとこと、「喫茶去(お茶でも飲んで一服していきなさい)」と返したのです。 また、はじめて訪れたという修行僧に対しても、禅師は「喫茶去」としか言わなかったそうです。 このやり取りを聞いていた寺の院主(寺の管理をする役職)は不思議に思いました。 院主が理由を尋ねると、禅師はそれに対しても「喫茶去」とだけ返したのです。院主は誰にでも変わらない言葉を返す禅師に驚き、その意図を悟りました。 悟りを開く方法に正解などありません。 「日々、当たり前のことを当たり前に。なんでもないことでもそれに集中して、無心でお茶を飲みなさい」と「喫茶去」は諭しています。 ★ 人の価値観や、日々の生活におけるすべてのことには、順位はつけられないはずです 私たちはともすれば、人間の価値をその人の身につけているものや肩書きなどで班田してしまいがちです。ですから、風采の上がらない人や身なりの貧しい人、肩書きのない人のことをそのような目で見て判断し、差別をしてはいないでしょうか。 「喫茶去」は、そのようなことで人の地位や好き嫌いを判断せず、「誰にでも真心で接しなければならない」とも教えています。 また、「日常お茶を飲むといういたって普通と思われることにも、十分に心を配りなさい」とも教えています。 あなたは日々の生活において、重要度の高いものを最優先にしてはいませんか? 「とにかく仕事が一番だから、ほかのことは後回しになっても仕方がない」などと考え、ほかのことを疎かにしてしまうことへの言い訳にしてはいませんか? もちろん、仕事も大切ですが、家族との会話や友人とのつき合い、自分の趣味などのものごとに、順位はつけられないはずです。 ときには、「喫茶去」の心であなたの生活を見直してみてはいかがでしょうか。
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