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★ 趣旨 「よしあし」の中を流れても、清水は染まることなく清純であるという意味で、つまり右往左往しないで生きるためには、よしもあしも経験しなさいという教えです。 「清き水は変わらない」という現象を、清水が植物の葦(よし、あし)の間を流れる様子を見ながら、さまざまなたとえで、禅の教えとしています。 一般的には、日とは清き心(悟りの境地)に達するためには「善の心」と「悪の心」の両方を体験することが必要だといわれています。 仏教でいう「六道輪廻(りくどうりんね)」のように、よい心と悪い心の間を、煩悩によって揺れ動いていきながら、成長することができるというのです。 それは同時に「幸」と「不幸」にも置き換えられます。 幸せも不幸も経験することが悟りには大切なのだから、不幸なときも「これは経験を重ねるチャンスだ」と思えば不幸に思わず、不幸に対して前向きでいられるのではないでしょうか。 最近は、どんなことにも白黒をつけたがる傾向が強くなっていると感じます。本来は「これが善で、これは悪」などと、決め付けられないものだと理解してください。 |
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