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愚かなる 恣意の炎を 噴きたてて 我と迎うる 火の車かな 【歌の意味】 何の考えもなしで、自分勝手に腹を立て、腹たちまぎれに怒りをぶちまけて、自分自身で運勢を悪くしたという趣旨です。 恣意とは、気随気まま、自分の気持ちのおもむくままにすること。 自分勝手に腹を立てて周囲に当たり散らかしていると、いずれは自分で向かえた火の車に乗らなければならなくなり、やがては人びとに見捨てられ、自然に孤立無援となるか、極端な貧乏暮らしを強いられる結果になるといいます。 火の車とは、カネがなくなって尻に火がつき、燃えさかることです。 ちょうど、サラ金の追い立てに会い、少しの気の休まることもなく、戦々恐々として、その日その日を送るようなものです。 人は、どれだけ偉くても、社会の中でしか生きられない宿命を持っています。 だから、生きていくのには、どうしても他の人と何らかのつながりを持たなければならず、ある場合には強制的とも言えるくらいの強い協調性が必要です。 したがって、どのような場合も協調性がなくては、一日として生きていけないことを知らないといけません。 このような仕組みの社会で、自分勝手な考えや自己中的な行動が通用するはずがなく、いわゆる、「山出しの丸太ん棒的な人間」には、大変暮らしにくい社会になっています。 |
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