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うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ 形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉 足ることを知っている 良寛は1758年に越後(新潟県三島郡出雲崎町)に生まれ、生家は名主で神官でもあったため、16歳で名主見習いとなりましたが、1年たらずで職を弟に譲り近くの光照寺で出家することとなり、家を捨てた良寛は最初、曹洞宗の寺に行きます。 良寛は道元の道を実践するため、草庵で一人暮らしはじめ、所持品は文字どおり、一衣一鉢(いちねいっぱつ)、着のみ着のまま、すり鉢一つであったようです。 このすり鉢が調理道具であり、食器であり、托鉢の鉢だったわけですが、それを見かねた村人が着物や食物を施しますが、良寛はそれをもっと貧しい人たちに与えてしまう。 良寛が詠んだ句に 『たくほどは 風がもてくる 落葉かな』 というのがありますが、 落葉を集めようと、あくせくすることはない。 必要なぶんだけ風が運んでくれるものだ。 釈迦はこう述べている。 『(人は)ひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、 (生まれ変わって)ひとりで来る(ものなのだ)』 (独生、独死、独去、独来)。 そんな身に余分なものは必要ない、良寛はそう考えていたのかもしれません。 生き方の底にあるもの 良寛は自分で「僧に非ず、俗に非ず」と言いきり、酒を好み、タバコもたしなんでいたといい、晩年には、40も歳の離れた若い尼僧、貞心尼と恋に落ちています。 良寛は本音で行動し、何ものにも執着しない生き方だったようです。 死期のせまった良寛に対し、貞心尼は「生死など超越したつもりなのに、いざ別れとなると悲しい」という意昧の歌を送ったとき、良寛は次のように詠み返したということです。 『うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ』 散っていくもみじでさえ、おもての葉も裏の葉もすべてをさらけ出して、隠すことなく散っていく。良寛さんも貞心尼との短い4年間のお付き合いであったけれど、正直に包み隠すことなく過ごしてきましたという辞世の句でしょう。 そして、良寛は最愛の貞心尼に看病され、蒲団の上に坐り直し静かに1831年、74歳で亡くなったということです。 良寛には、もう一つ、辞世の歌が残されている。 形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉 桜の季節に詠んだ 散る桜 残る桜も 散る桜 というのも記憶に残る良寛さんの言葉です。 |
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