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朦々(もうもう)淡々として60年、 末期の糞をさらして 梵天(ぼんてん、仏法の守護神)に捧ぐ 一休 宗純(いっきゅう そうじゅん)は室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧である。説話のモデルとして知られています。 上記の辞世を残し、当時の平均寿命の倍近い87歳(1481年)まで長寿で亡くなったようです。 臨終の言葉は「死にとうない」。 悟りを得た高僧とは到底思えない、一休らしい言葉で人生を締めくくってますね。 自由奔放で、奇行が多かったと言われる。以下のような逸話が伝わっています。 @ 印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。 A 男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。 B 朱鞘の木刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。 C 親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如上人は「俺の商売道具に何をする」と言って、ふたりで大笑いしたという。 トンチ話 足利義満は一休を邸に招き、困らせてやろうと魚を食事に出した。 一休がパクパク食べるので「僧が魚を食べていいのか」と義満が問いただすと、「喉はただの道です。 八百屋でも魚屋でも何でも通します」との返事。 義満は刀を突き出し「ならば、この刀も通して見よ」。 一休は「道には関所がございます。 この口がそうです。 この怪しい奴め。通ることまかりならぬ」。 そう言って平然としている一休に対し義満がさらに言ったことが「あの屏風の虎を捕らえよ」だった。 狂雲集 門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 釈迦といふ いたづらものが 世にいでて おほくの人を まよはすかな 女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む 南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ |
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