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★ 趣旨 手から放れたとき、大切なものは自然に手に満ちてくるという意味で、欲や執着を放したときにしか分からないことがあるということです。 人の営みとは、仕事や勉学、恋愛、結婚、子育て、会話など、生きている上で行うことのすべてですが、これらは本当に自己の価値観で営まれているのでしょうか。 私たちは、まわりが自分のことを認めてくれなかったり、ほめてくれなかったりすると、生きている価値がないと、勘違いをしていませんか。 あなたは、あなたです。まわりの目を気にするということは、他人の価値観で生きているということです。 自分が何か得体の知れないものの価値観によって左右されてしまうと、自分の本当に生きる価値はなんであるかが、分からなくなってしまいます。わからなくなると、さらにまた世間の目を気にしてしまうことになり、こういった悪循環に陥っている人は本当に多いように思えて仕方ありません。 生きるということは、けっしてそのようなことではないのです。 この言葉を放った曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖、道元(どうげん)禅師(1200〜1253)は「人の生きる価値はまわりの評価などで判断してはいけない。真の自己の価値観で生きなさい。その真の価値観を見出すためには世俗一般の理想と自分の価値観を一緒などにせず、もし、無理をして人に合わせた価値観に縛られているのであれば、それを捨ててしまいなさい。捨てる勇気を持ちなさい。そうすれば、自ずと真の生きる価値を見出せるはず」と言っています。 また、人は生きている間は欲望に包まれています。 お金が欲しい、名誉が欲しいなど。でも、これらはみな世間が作り出したまやかしかもしれません。 たとえば、こんな例です。ある人が、人生半ばにしてそれまで積み上げてきた人間関係や、仕事のキャリアなどに執着しすぎて、仕事がうまくいかないまま、何も手を打てずに堂々巡りをしていました。でもある日、その人はすべての人間関係やキャリアをポンと投げ出し、海外留学をすることに。そして、あらたな分野でゼロから勉強をして起業をし、まったく違う分野で研究者として大成功を収めたのです。 これこそ、「放てば手に満てり」の精神です。 放さなければわからない、放さなければ味わえない真実があることを、私たちも覚えておきたいものです。 |
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