|
いまもし、 ・ 報われかたが少ない ・ 報われているとは思えない ・ けっして報われていない の、いずれかに当てはまると思われる人がいるとすれば、その人は社会や恩を受けた人に対して報うことをしていないから報われていないという報いを受けなければならないのです。 ★ 『天網恢恢(てんもうかいかい)、粗にして漏らさず』・・・老子 この原則に当てはめますと、 ・ 良いことをすると報われる ・ 良いことをしないと報われない とする道理は現ぜんとして公平で、次の言葉が証明しています。 『報わざれば報われざるをもって報いとす』・・・真渓涙骨 人間は自分ひとりで生きているのではありません。親兄弟、配偶者、子ども、上司、同僚、社会近隣などなど、数えあげればキリがないくらい無数の人々と共存し、かつ、それの人々のお陰を蒙って生きているのであります。 ですから、些細なことでも感謝の気持ちを持つとか、なんらかの方法で報いるということをしなければ、やがては親兄弟・配偶者、子ども、上司同僚などから見放され、孤独の淵に沈吟するという報いを受けなければならないのです・・・。 もし、子の言葉の道理が誰からも否定されないのであれば、人に報い社会に報わなければ報われないとするのは当然でしょう。 「報われかたが少ない」、「報われているとは思えない」、「けっして報われていない」のいずれかに該当する人は、この際、この言葉をよく?み締めてみる必要がありそうです。 つまり、そのようになっても仕方がない、「原因は自分にある」からです。 ・ 人を思いやる心がない ・ 人を愛する心がない ・ 相手を立てる心がない ・ 人に従う心がない ・ 人に感謝する心がない ・ 恩に報いる心がない ・ 優しい心の一つもない ・ ものを惜しむ心がない ・ 足ることを知る心がない つまり、このように「あれもこれも、ないないづくし」の心では報われるはずがなく、従ってそのようなタイプの人の身の周りには誰もいず、孤独で寂しいのは当然ではないでしょうか。 細菌では、たとえば駅のコンコースなどで若い女性と行き違いに斜め交差するときに、相手が避けてくれるだろうなどと思うのは当て外れもいいところ、こちらが先によけなければ、まず衝突することうけあいで、「ヌッ」と睨まれるのがオチです。なんともはや情けない話ではないですか。 この娘さんがお母さんになって、はたしてどのようなことを子どもに教えるのでしょうか。
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright (C)2015. 古歌・辞世の歌・禅の言葉・名言・格言から生き方を学ぶ All rights reserved. |