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★ 『世は海よ 身は浮き舟よ 心をば 梶とぞ思い 心して漕げ』・・・古歌 この世は海にたとえることができる、そしてこの体は舟にたとえられます。そうであるならば失敗や間違いのない世渡りをしようと思うなら、舵取りを上手にしなければなりません。人間の心がこの場合の舵です。人生を航海にたとえたり、世を渡るとして世渡りという言葉もここから出ています。 つまり、人間はこの世の小舟でしかないのであるから、頼りとするのは自分という漕ぎ手(肉体)と漕ぎ手の考え(心)だけで人生という航海が無事に目的地まで続けられるか、途中で難破して沈没するかが決まります。 この古歌が示す通り、人がこの世で成功するのも失敗するのもみな人間がする行為、ならびに行動の結果なのだから、成功したければ真理に従うしか方法はありません。 ★ 『ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし』・・・仏経 真理はただ一つしかなく、二つも三つもあるものではありません。 即身成仏とは生きとし生けるあらゆるものが、その身そのままで無条件に成仏できることで、これはわれわれ凡人の生命の本質と「み仏」の本質が人間がこの世に誕生したときから既に一体であるのに、数えるのも紛らわしいほど多数の宗教・宗派があるのは、ただ一乗の法のみがあるとするこの立場からすると、これは一体全体、何なのでしょうか・・・。 ★ 『い寝ざる人には夜は長く、疲れたる者には路は長く、正法を知らざる凡愚には生死は長し』・・・古言 寝られない人には夜は長く感じられ、疲れた人には旅路が長く感じられるものです。それと同じで真理が何であるかを知らない凡人には、この人生は長くて退屈に思えるものです。真理が何であるかを知った人には、この人生はとても短い・・・。 ★ 『親の意見と茄子(なすび)の花は千に一つも仇はない』・・・古言 永年、人生を歩いてきた親としての立場に立つものは、たとえ難しいことは分からずとも、経験として持っている人生観や数々の処世法は既に一つの真理を構成していて、茄子の花にはただの一つもあだ花がなく、花が咲けば必ず実が成る事実と同じように間違いがないといえる・・・。 ただ近ごろは、「辛抱という棒」を持っているお父さんやお母さんが少なくなりつつあるようですから、千に一つも狂いがないとまで自信を持って言えるかどうかの不安がないではありません。 ★ 『芋を見よ 子に栄えよと 親痩せて 甘もうなったり えぐうなったり』・・・古歌 芋(ここではズイキイモ)を見てみよ、ズイキイモの親芋(根っこの太い部分)は小芋を太らすために親芋の栄養分を分かち与えて、あるときは人に厭がられるように痩せたり、えがらっぽくなったり、ときには甘いこともありますが、つまり子どものために時々刻々に対応して子どもを育てようとするではないですか・・・。 本来、親の子に対する愛は欲得抜きで本能的な愛ですから、よほどの偏愛パパか溺愛ママでないかぎり、現代の親の言葉にも、まず千に一つも狂いはないかもしれません。
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