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★ 『自己に徹すれば自己がなくなる、自己を失った人にして初めて自己が味わえる』・・・真渓涙骨 自分という人間を内省して掘り下げれば掘り下げるほど、日ごろこだわっているものが何であるかが見えてくるようになるとともに、自分という人間がますます分からなくなる。 そして遂にはそのこだわりが小さなもの、大して意義のないことが分かってくるようになるものです。そこまでいくと、そこで初めて自分という人間の小ささ、あまり大した人間でないことが自分なりに分かってくることになり、そこから正しい自分の出発が始まるのです・・・。 ★ 『真に自分を正しく生かすものは自己の完成のために働くとともに、他人の自己完成に役立つ人である。自分を真に生きる道を教えたものこそ、真に自分を生かしたといえる』・・・武者小路実篤 ★ 『自分は自分の主にして己は己の拠りどころなり、故に何よりも己を整うべし』・・・古言 自分という人間を支配し自分という人間の中を貫いているこの意識、すなわち自我こそ自分という人間の大事な主人であって、他のどこを探しても自分が頼りにする主人はいない、つまりこの自我こそ生涯自分と苦楽をともにする拠りどころです。従って、どのようなことよりも第一に、自分の意識、すなわち自我をこそ整えるべきです・・・。 ★ 『人は人のうえをのみはかりて、おのれを知らずなり』・・・徒然草 人間は他人のことばかり目がいって、さて自分のこととなると何も分かっていない・・・。 と吉田兼好は言っています。 私たちのような、いたっていたらぬ人間は日々我知らずして、ついつい過ちを犯してしまう場合が多いですが、そんな過ちにも、 ・ 全く気づかない過ちと ・ たとえ気づいていても、小さなことだからと自らを納得させて犯す過ち の二通りがありますが、それが過ちである以上、いずれにしても過ちは過ちとしてあとに残ります。 このことは謙虚にしかも厳然と受け止めるべきですが、たとえこの種の過ちでも、この歌では初めのうちなら消えて許されるだと言っています。 ★ 『池水に 初めのうちは 降り消えて 凍るかたより 積る白雪』・・・古歌 12月も中ごろになると、もういつ雪が降っても珍しくない季節ですが、このころの雪はよほどの大雪でないかぎり、ふつうはすぐ消えてしまいますが、まれにはたいへん寒い日が続くとか、夕方からシンシン降り出した場合はすぐには消えてしまわないで、翌朝一面の銀世界になって、私たちの目を驚かすことがあります。 この歌はこんな時期の静かな山中の小池に音もなく振り続ける白雪を見つめながら、人間社会のいろいろな是非善悪にたとえて歌ったものと思われます。 自分では全く気づかない過ちでも、ちょうど淡雪が絶え間なく降り続くと、降りおりたところから少しずつ地面が凍り、ついには白雪が積る状態となるように、過ちも絶えることなく犯し続けると、しまいには悪となり罪となってわが身を滅ぼすにいたると、この歌は教えてくれています。 微弱な過ち、自分ではちょっと気づかない過ちは、本来は誰にでもあって許される性質のものでしょう。しかし、受ける相手がこれによって心に不快感や不足の念を抱くようなら、これはもう厳然とした過ちといえます。 小さな過ちも謙虚に反省し自省して、二度と再びそのような過ちを犯さないように心しなければならない。
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