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磁石にはN極とS極の二極があって、N極とN極、あるいはS極とS極を近づけても反発して互いに相手を寄せ付けませんが、N極とS極とでは直ちに強力に吸着し一体化します。 電気にもプラス(陽)とマイナス(陰)の二極があり、プラス同士とかマイナス同士ではなんらの電気的現象が起こりませんが、ひとたびプラスとマイナスが接触すると激しくスパークします。 その代表的な例が雷で、稲妻が瞬間的であるのに対し、一方の電灯では任意の時間、いつでも灯したり消したりできるのは、じつは小規模なスパークを現象をガラス球体(電球)内で人工的に起こしているからで、プラスだけとかマイナスだけの電気では、たとえそれが何万ボルトの高電圧であってもなんの現象も起きません。 つまりこれらの二種の「極」にどのような細工を施しても厳として二極で、いずれか片方だけでは、いつまでたっても合体して一極になることはありません。 磁石(磁場)も電気(電界)も、ともに人間がこの地球上に姿を現す以前からあって、この二つは小賢しい人間の知恵ではどうにもなりません。 この状態、つまりこの世は二つのもの(S極とN極、プラスとマイナス)が一つ(磁石とか電気)になって支配している状態を二象一態(にしょういったい)と言います。世にいわれる陰と陽の陰陽論はここから出発しています。 人間が住んでいるこの地球は、天地という二象一態で成り立っている最大の形態です。そこで古人は、この天地の「天」をもって「陽」とし、「地」をもって「陰」と定めました。 そして、この現象世界にも、次のような二象の関係ができあがり、この二象が一対(いっつい)とって一態になっているのです。 @ 天―地 A 陽―陰 B 明−暗 C 暖―寒 D 上−下 E 男−女 F 夫−妻 G 父−母 H 親−子 たとえば、一枚の紙を剥がしても剥がしても、どこまでいっても紙は表と裏になるだけで、紙の中という部分はついに見られないことからしても、表裏はつねに一態(一体)であるのが分かります。この場合の表裏としての現象を「二象」といい、紙そのものの変わらぬ本質を「一態」と言います。 また、人間には、「男性」と「女性」が存在しますが、あなたが「女」である、あるいは、わたしが「男」であると認識できますのは、すでにそこに比較対照できる「女」、あるいは「男」というものが存在するからでありまして、男性だけが存在する社会ですと、男という認識も不可能ですし、女という認識も不可能です。 ですから、二象一態としての人間が存在するためには、男性と女性の二人が一対(いっつい)として成り立っていなければならないのです。 「天と地」にしても、あるいは「昼と夜」にしても、みな二つもしくは二人で一対(いっつい)として成り立っており、お互いに切っても切れない仲になっていますが、これを二象一態と言います。 このような二象一態は地球から生まれた最初からの姿で、この二象一態の組み合わせは、われわれ人間の身の内にいくらでも潜んでいます。 たとえば人間を例にとりますと、私たちが日常活動を行うことができますのは、精神が肉体に宿ることによって、お互いが同一の人間であると認識できる環境に置かれるからであって、肉体のない精神だけでは、人間生活は成り立ちません。 この場合、精神を陰とすれば、肉体は陽となって、不即不離の関係になっており、いずれが欠けましても生命活動が維持できないのは、二象一態になっているからです。 そして、人間活動にしても、自然現象にしても、二象のエネルギーにバランスが取れているのが最良の状態だといえます。 夫婦の関係にしても、妻の精神気力が強くて、夫の精勤気力が弱すぎるようなことになれば、子ども教育にも差支えが出るし、夫婦間のトラブルだっていろいろと起こってくるでしょう。
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