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★ 『諸仏の大道(たいどう)は深妙不可思議、修行者、あに容易ならんや。見ずや古人、身命を捨て国城妻子を捨てて、之を視ること瓦礫の如く相似(そうじ)たり。しかして後、劫数(ごうすう)を経歴し山林に独棲し心身は枯木の如くにして、まさに初めて道と相応す。既に道と合っすれば則ちよく山川を借りて言語となし、風雨を拈(てん)じて舌頭(ぜっとう)となす。大虚に説破し無等輪(むとうりん)を転ず。何の用か能(あた)わざらん、何(いず)れの法か可ならざらん。道に志すものはこの風範(ふうはん)に遵(したが)うべし』・・・碧厳録 これは道元の修行者に対する極めて厳しい指摘で、とても一般人にはできることではありませんが、心の修養につとめようとするものは、心がけとして少なくともこの言葉は知っておく必要があるでしょう。 修養に関して次のような話があります。 ある旅の修行僧が、ある禅寺を訪ね、一夜の宿を申し入れた。 老師が現れ、かくかくしかじかと公案を出したのです。 修行僧は少し考え、 「かくかくしかじか」 と答えた。 老師は会心(かいしん)の笑みを浮かべながら一夜の宿を許可した。 翌朝、老師は再び昨日と同じ公案を出したので、修行僧は、また、 「かくかくしかじか」 と、昨日と同じ答えをした。 聞くなり老師は警策でもって、こっぴどく修行僧を打ち据えたのである。 修行僧は色なして、 「老師さま、昨日一夜の宿りをお願いしましたおり、あなたさまは、かくかくしかじかとの公案を出されました。そこでわたしはかくかくしかじかと答えましたところ、あなたさまは快くお許しくださったではありませんか。 いま、昨日と同じ公案を出されましたので、わたしは昨日と同じ答えをしましたところ、このようにきつくご意見をたまわるとは心外です。何かお気に召さぬことを申し上げましたでしょうか」 と、憤懣やるかたない気持ちを陳べたところ、老師は、 「お前は昨日と同じ答えをして恥じないばかりか、少しも進歩していないではないか、いやしくも修行者たるもの、そのような心得ではこの先、大成することはあるまい」 と諭したのです。 修行僧は自分のいたらなさを深く羞じ、深々と頭を垂れて詫びを入れ、のち修業に精を出し有名な僧になったとのことである。 ここで、 『昨は是、今(こん)は不是(ふぜ)』・・・古言 昨は(昨日)、是(良い)、今(今日)、不是(駄目)・・・。 との古言ができたのです。
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