|
★ 『人に接するに春風の如く、己に接するに秋霜の如くたれ』・・・古言 他人に対しては春風のような穏やかな気持ちや言葉で接し、自分に対しては秋の霜のように善悪正邪の判断を厳格にして、いやしくもこの反対であってはいけない・・・。 との厳しい姿勢でなければなりません。 ともすれば、自分に弱い人間は自分の都合だけ考え、自分の虫の良さだけを活かそうとします。そうして、「自分にだけは良い運命が来てくれるようにひたすら願う」という滑稽な人生を送りがちになるのです。 ★ 『前事を忘れざるは後事の師、前車の覆るは後車の戒め』・・・漢書 失敗を含め過去のことを忘れないのは今後の良い手本になるし、他人の失敗は自分たちの良い参考になるので、この二つは忘れてはなりません・・・。 ★ 『焔々(えんえん)に滅っせずんば炎々をいかんせん』・・・孔子家語 火はちょろちょろと燃えているときに消さなければ、ぼうぼうと燃え上がって大火事になってしまってからでは手がつけられなくなる、つまり何ごとも小さなあいだに適当に処理をする必要があり、後になってからでは処置のしようがなくなる・・・。 ★ 『悪果(あっか)未だ熟さざるうちは悪人もまだ幸に逢う』・・・古言 不正なことや悪いことをしていても、それが小さなあいだは悪人といえどもまだ幸せなことがあるであろうが、それが大きなものになってしまったら必ず天下に露見して罪に問われなければならなくなる・・・。 ★ 『貴は矯(きょう)と期せずして矯自ら来たる、矯は亡(ぼう)と期せずして来たり亡自ら至る』・・・古言 身分が上がったり高い地位についたりして名誉に恵まれることは良いことではあるけれども、その影に潜んだ驕りも密かにやって来る。そして驕りは没落と一緒にやってくるし、没落は滅亡と一緒にやってくる・・・。 ★ 『吉凶禍福は来由(らいゆう)あり、しかして禍は得意に生ず』・・・古言 善いことや悪いことが訪れるのにはそれぞれ理由がある。しかし総じて失敗や不幸なことが起こるのは好調時の慢心や労せずして大金が入るなどして油断したり、むやみに浪費したりするのが原因である・・・。 ★ 『君子は禍い至れども懼れず、福至れども喜ばず』・・・史記 立派な人は禍いが来ても驚いたり悲しんだりしないし、思わぬ幸福に見舞われても有頂天になって喜ぶことはない。それは人生をある程度達観できるようになると、生死の問題も利害得失のことも、ともに真の人生の意味とか意義に通じないからである・・・。 ★ 『禍福に門なし、ただ人の招くところなり』・・・左伝 人間は誰もがひとしく死ぬ、この原則は何びとといえども免れられないのです。すなわち、どれだけ身分が高かろうが、どれだけ大金持ちであろうが、風呂に入るときには裸にならなければならないし、死ぬのも同じである。つまり人間は天の前には万人平等であるが、幸福と不幸の別があるのは、それぞれ当事者の日ごろの心得と行動による・・・。 ★ 『世間の人は心動じて福の果報を愛好し、しかも福因を好まず』・・・古言 世間の人はなんとかして幸福になりたいものと切実に願うが、幸福が来る原因を好まない。なんとなれば幸福にあずかるには、それなりの努力の連続が必要で、なみたいていのことでは幸福は得られない・・・。
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright (C)2015. 古歌・辞世の歌・禅の言葉・名言・格言から生き方を学ぶ All rights reserved. |