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★ 『金玉堂ら満つれば之を能く守るなく、富貴にして驕れば自らその咎をのコス。功遂げて身退くは天の道なり』・・・老子 カネやモノが蔵に満杯になるほど集まれば集まるだけ、それをそのまま維持するのは大変であるし、そのうえ名声が上がれば上がるほど人間はかぎりなく驕り高ぶって、最後は自分で自分の墓穴を掘るような愚かな所業をしでかすものである。よって、ある程度成功したら、余のことはほどほどにして引退するのが良い・・・。 ★ 『名と身といずれが親しき、身と貨といずれが勝れる、得ると失うといずれが病ましき、この故に甚だ愛すれば必ず多く費ゆ。多く蔵すれば必ず厚く失う。足ることを知れば辱めあらず、止どまることを知れば危うからず、以って長久なるべし』・・・老子 名声と自分の身体のいずれが大事であるか、身体とカネではどちらが大切であるか、モノとカネを得るということを失うということのいずれが心に安心をもたらすか、この答えは簡単である。 つまりたくさん持てば、それだけ失うものが多くなるのは当たりまえで、人間は知足の心を持たないと、かぎりのないとらわれの世界からいつまでたっても脱出できないのは最初から決まっている。それより知足の心を持って悠々と暮らすなら、寿命も健康もいつまでも長持ちする・・・。 人間は身の内にいろいろなものを秘めているとはいえ、必ずしも全部が全部、良いものとか美しいものばかりではありません。 たとえば誰でも、これはしてもよいが、このことはよくないと判断する理性や物事の道理を理解しようとする悟性とか倫理感、それに社会公共に対する奉仕の心など崇高な道徳性や犠牲心を具えている反面、欲しいとか惜しいとか、憎いとか怨むとか、高慢とか他人を偽るとか、それはそれは醜い心もいっぱい持っています。 その他、人間は感情の動物といわれるぐらい喜怒哀楽の情も秘めていると、そしてどちらかというと、 @ このような行為はよくないことだと思うけれども、知らず知らずのうちに怠けてしまう A 喜怒哀楽にしても、とにかく怒りとか哀しみの心が先に出てしまう といったように、安易さの誘惑に負けてしまいがちで、結局はふつふつとして喜んだり楽しめないのが世の常です。 人はこのように自分勝手な自堕落な心に負け、そのために底辺の生活をしなければならないときもあります。それにいま一つは何に志を立てたかということも人生の大きな結果の差となってあらわれるので注意が必要です。 これにはどの程度の知識とか知能があるか、そして何を対象に学び励んだか、何に努力を傾注したかが問われます。 つまり、これらに対するたゆまぬ努力心とか心の底に確固としたある信念が、その人の人間性を育て人格を形成するのです。 人間が他の動物と違い、立派なところは、 @ 他に対する奉仕の精神がある A 人間性を培おうとする向上心がある B 他人の行為を見て感激したり感動する C 社会で大いに活躍したいとする願望を持つ D 親や周囲の人に恩を感じる E 謙譲や美徳を発揮する などなど、高い精神域の自我を持つ点です。
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