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★ 『生死の大事を説き、幻化(げんけ)無常を談じる人に親近すべは』・・・古言 人間がこの世で生きていくのには何が大事で、何が大事でないのか、どのような心構えで生きていけば良いのか、しからばどのようにすれば良いのかを解説し、あわせてこの世が基本的には幻のように儚いものであることを丁寧に説明してくれる人に近づいて話を聞くのがいい。そうすれば、大筋で誤りのない人生が送られるであろう・・・。 生死事大・・生死は事大にして 無常迅速・・無常、迅速なり 各宜覚醒・・各々、宜しく覚醒して 謹莫放逸・・謹んで放逸なるなかれ 『良寛』 人間は生き死にのことをもっと重大に考えるべきです。それは死や病気や事故や親兄弟などを含め愛する人との別れがいつ訪れるかしれないからであり、そのときになって「ああだ、こうだ」と騒いでも遅いのです。各々方、ここのところをよく自覚し、かりそめにもなおざりに日を送ってはならない・・。 三界如客舎・・三界は客舎の如く 人命似朝露・・人命は朝露に似たり 好事常易失・・好事は常に失い易く 正法亦難逢・・正法も亦、逢い難し 『良寛』 この世は、あの世から旅行に来たちょうど仮の宿のようなものであるから、人の命も朝の露が昼には全く消えてしまって跡形も残らないのに似て大変儚いものです。そのうえに生きていて好い事はいつも少ないかチャンスは失わいやすいものであるし、また、どのように生きていくのが良いのかを教えてくれる真正の教えや、正しい生き方を指図してくれる人にも、なかなか出逢えない・・・。 今の日本はまさに朝にカネ、夕べにカネの世の中で、これほど物欲と経済が優先されている時代は過去には例がないでしょう。 ★ 『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』・・・論語 いま、真正の教えを聞くことができたら、たとえそのまますぐ死んでも悔いはない、と言っているように、急いで聞かなければならないのは生死の大事に関する話や、この世は無常であるとの人生の根本に関する話である・・・。 生死の大事とか世の無常を端的にあらわす詩に、 人生浮世間・・人生は浮世の間 忽如陌上塵・・忽ちにして陌上の塵の如し 朝為小年子・・朝に小年の子と為るも 薄暮作霜髪・・薄暮には霜髪となる 『良寛』 人生は根無し草に似て水に浮かんでどこに流されるかしれないし、また吹けば飛ぶような路上の塵のように無常の風が少しでも吹けば、たちまちどこかに雲散霧消して跡形も残らないように儚いもので、たとえば朝にはふさふさしていた少年の黒い髪の毛も夕べには霜のような白髪になってしまいます。つまり人生はまだまだ続くと思って安心していても、たちまち老いがやってきて死んでしまう・・・。 ★ 『夕暮れに 巣かくるクモの なりわいも 風吹かぬまの たのみなりけり』・・・良寛 夏の日の夕方ごろの軒先に、クモがせっせと巣を作っているが、それも風が吹かないのを前提として作っているだけで、少しの風でも吹けば、すぐ遠くへ巣ごと吹っ飛んで行ってしまう。転じて人間もこれと同じで、カネだっ、モノだっと言って毎日慌しく暮らしていますが、それも無常の風がそよと吹けば、たちまちのうちにあの世へ行ってしまわなければなりません。まことに儚いのがこの人生ではないでしょうか・・。
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