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「今日も空しく明けぬ、今日も空しく暮れぬ」であっては、まさに光陰矢のごとく、この何物にも換えがたい一生を、わずか一夜の夢として無駄に失ってしまわなければならないでしょう。 たとえそうでなくても、凡人の私たちには、本当に一日一日はすぐ過ぎてしまい、あっという間に、一月は行き、二月は逃げ、三月は去ってしまいます。 天はすべての人間に、この地上に花の装いを凝らしてくれている。この美しい野辺を人はかぎりなく通って行く。 『摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘ままれぬままに』・・・古言 良いこと(この場合は有意義なこと)は早めにするのがいい、死んでしまわないうちに・・・。 日常のささいな事柄に心かまけ、分(身のほど)をわきまえぬ欲望の奴隷となり、カネやモノの獲得に狂奔して日夜を送るにおいては、長い一生もあっという間に過ぎてしまい、ただ再び帰らぬ青春を懐かしむだけの人間になって朽ち果てるのがオチです。 「老」は生老病死の人生四苦の二番目に位するだけあって、順番としてはとても早く訪れます。 そして誰もが、 『待つことしかも急ならざるに覚えずして来たる』・・・徒然草 自分自身が死ぬことなど誰も待ったりしないのに、ある日、突然訪れる・・・。 これが死です。 天は人間に春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、四季折々の装いを凝らして、万人にひとしく24時間という時を与えてくれています。 この、そのときそのときを心から惜しむだけの心のゆとりがなく、ただ、せかせか、せかせかと慌ただしく日を送るにおいては、未来永劫、生の名残と悔いは尽きないであろうと思われる。そして誰でも間違いなく老いさらばえ死んでいくのです・・・。 君不見黄河之水天上来・・君、見ずや、黄河の水は天上から来たり 奔流到海不復回・・奔流となって海に到り、再び帰らず 又不見高堂明鏡悲白髪・・また見ずや、高堂の明鏡は白髪を悲しむ 朝如青糸暮成雪・・朝に青糸(せいし)の如きも暮れには雪を成す 人生得意須尽歓・・人生、意を得れば須らく歓を尽くすべし 莫使金樽空対月・・金樽(黄金が一杯詰まった樽)をして空しく月に対しむるなかれ 李白 あなたは見たことがありますか、黄河の水は天から降って奔流となって海に注ぎ、再び帰らないことを。また見ましたか、高堂の明鏡は白髪を映し出して悲しむといわれることを。 少年時代は髪が黒くふさふさしていても、誰だって、年齢を重ねると、いつのまにか頭は真っ白になるのです。人間、生きているあいだに志が達成できたら、人生の歓びをつくづくと味わいたまえ。お金を大切にするあまり空しく貯蓄ばかりしないで・・・。 これは必ずしも歓楽を奨める詩ではありませんが、人と生まれて、この世である程度成功したら、あるいは何とかほどほどのところまで生きてこられたら、それから後は自然に親しみ人情に馴染んで、本当の生甲斐を味わいましょう。いたずらに金銭を貯めることばかりに熱中する愚かな過ちを犯さないことです。 ★ 『風命(生命)保ちがたし、露体(肉体)消えやすし』・・・愚道 まことに無常が訪れるのは迅速で、一瞬一瞬のあいだにうつろう。朝の黒髪が夕べに早くも白髪になると、人の世の儚さを歌っています。 老いこそ誰もが願わないのに、誰にもまんべんなく訪れる絶対のものであります。ゆえに誰もが今日のこの大切な一日に空(自然)の名残を惜しみ、一人の人とでも多く一期一会の心で接し、このうえもない十分な生甲斐を感じて暮らすのが何より第一で、この方法なり心の持ち方で人生を送るしか他に手立てはないようです。 清貧にして大金を手にできないのは恥でも何でもありません。ですが、良い仕事をしなかったり充実した人生を送らないとか、ぶらぶらしてその日その日を無為に過ごすのだけは大いに恥であるばかりか、ときには罪になることだってあります。 ★ 『世の中を ただいたずらに 渡り来て 老いての後の 今は後悔』・・・古歌 年寄って早く死んでくれなければ困るというような老人には誰もなりたくはないでしょう。年寄ってますます活き活き、いよいよ盛んで、いつまでもいてくれなければ困るというような老人でありたいものです。そうすれば大往生はまことに請け合いと言えるかもしれません。
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