|
志を持つには、まず、 @ ときたま失敗にまみれることがあっても挫折しない。 A 人としてこの世に生まれた意義を知る。 B そのつど、ずばずば思うところを実行する。 C 自分は凡人ではないと自負する必要がある。 D 自分がどこまでやれるか本気で実行する。 E 小手先の技法は使わない。 F 自分の夢に酔わない。 G 他人に遅れを取るのは論外ですが、あまり先走りし過ぎても良くない。 H ときには大胆な方向転換も必要です。君子は豹変するとの言葉は、このときのためにある。 I 勝って兜の緒を締める。 など、その他いくらでもあるこの種の基本要項から外れることがあってはダメで、平素から心を養うとともに、しかるべき教養をも身につけなければならないことは言うまでもありません。 ★ 『君子は豹変し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む』・・・易経 時勢の機微に通じている人は、それまでの方法を変更して素早く新事態に対応して失敗を未然に防ぐか失敗を最小限に止めようと努力するが、普通人にはただびっくりして顔色を変え、呆然と事態の推移をなすがままに見守るだけである。 このようなことではとても大きな成果は期待できない。ただ今日では君子豹変とは利益のあるほうにコロコロと心を動かす節操の乏しい人を表現するのに用いられている・・・。 ★ 『舎を道傍(どうぼう)に作れば三年して成らず』・・・粛宗(しゅくそう) 家を道の傍に建てようとすれば三年たっても建たない。それは道を通る多くの人が、 「この家の家相はよくない」 「庭を広くとらないとダメだ」 「何々の木を植えよ」 となど、いろいろなことを言うので心が迷ってしまい、結局は三年たっても家が建たない。これは何も家にかぎったことではない。すべからく他の何ごとにおいても自分の信念をしっかり持って、いやしくも他人の言葉に惑わされてはならない・・・。 ★ 『一年の計は穀を植うるにしかず、十年の計は木を樹(う)うるにしかず、終身の計は人を樹うるにしくはない』・・・管子 一年のことだけを考えるのなら米とか麦など穀物系のものを作って、それで生活するとよい。十年という長期のことを考えるのなら梨とかリンゴなど実が成る木を植え、それを売って生活するという何か事業を考えるとよい。 一生という最も大事なことを考えるのなら多くの人を手持ちに集めて養成するとともに、障害の地盤を築くにこしたことはない・・・。 ★ 『蒼蝿(そうよう)の飛ぶや十歩にすぎず、自ら騏(きき)の髪に託せば、すなわち千里の道を騰(のぼ)る』・・・史記 蝿が飛ぶ範囲はわずかでしかない、しかしそのような蝿でも勇気を出して名馬の尻尾にしっかりとくらいついていれば、千里の道もさほど困難なく行ける。ここでは名馬の尻尾に取り付くという企画を自分が立てるということと、目上の力を上手に利用するという行動力の大切さを説いている・・・。 ★ 『士にして居を思うは以って士となすに足らず』・・・古言 立派なに人間になろうと、ひとたび志を立てたなら、家や家族のことが気にかかって仕方がないようでは大した人物になれる見込みはない・・・。 ★ 『男子まさに死中に活を求むべし、居ながらにして窮すべけんや』・・・古言 男として生まれたからには、いつも死ぬ覚悟で頑張らなければならぬ。じっとしたままで、あるいは何も企画せず行動も起こさずに、腰抜け根性で負けない前に自分に負けてはまっているとか、ただぼんやりとなすがままに膝頭を抱えて貧のどん底に落ちてしまってはならぬ。ここはどうあっても悔いなき思案を練りに練って頑張りと通さねばならぬ・・・。 ★ 『命に逆らわず何ぞ寿を羨やまん、貴を矜(ほこ)らず何ぞ名を羨やまん、富を貪らず何ぞ貨を羨やまん』・・・古言 自分は自分をよく知っているので天命に逆らってまで長生きしたいとは思わないし、また人間社会の地位や名誉の空しさも知っているので特別に名声を欲しいとは思わないから、それを気にしたこともない。 そして富貴ももともと当てにならないものであることが分かっているので特別にカネを欲しいと思ったこともない。ただ男子たるべきものは己の信じるところを正々堂々と、そしてときには憤怒の阿修羅になってでも実行するときには実行するだけの勇気を持つべきである・・・。
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright (C)2015. 古歌・辞世の歌・禅の言葉・名言・格言から生き方を学ぶ All rights reserved. |